2009年06月15日

マロリー・ワイス症候群(Mallory-Weiss syndrome)

マロリー・ワイス症候群(Mallory-Weiss syndrome)とは、嘔吐後に下部食道に裂傷が生じ、出血を起こす症候群である。

嘔吐で起こる嘔吐物の移動や胃の収縮による機械的刺激によって裂傷が生じると考えられている。食道裂孔ヘルニアを伴っていることが多い。飲酒後、乗り物酔い、悪阻などが原因として多い。
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疫学 [編集]
消化管出血の約5%を占める。男性に多く、30〜50歳に多い。

症状 [編集]
吐血が症状としては多いが、約10%は下血のみとなる。大量出血した場合はショック状態となりうる。

診断 [編集]
内視鏡が最も有用である。嘔吐後の吐血という病歴の聴取が診断の手がかりとなる。

治療 [編集]
大量出血した場合は輸血が必要となることもあるが、そうでなければ経過観察で問題ない。止血に時間がかかる場合は内視鏡下で止血し、それでもなお止血が困難であれば手術をすることもある。

歴史 [編集]
ジョージ・ケネス・マロリーとソーマ・ワイスが初めて報告した。マロリー・ワイス症候群の名は彼らに由来する。

2009年05月29日

重量と防御力を最適化するため

重量と防御力を最適化するため、戦車の装甲厚は敵と向き合う前面が最も厚く、上面や底面が薄く造られている。

対地攻撃機や対戦車ヘリコプター、地上の兵士が放つある種のミサイルでは装甲車輌の上面に攻撃を加えるトップアタック能力を持つものがあり、これらの兵器に対しては戦車の装甲も脆弱である。乗員が車内に出入りするためのハッチ、キューポラ、また外部を観察するためのスリット、あるいはエンジン部などは装甲を厚くできない箇所で、履帯や転輪のような駆動系も攻撃に弱い。また砲塔の形状によって、砲塔下部で跳弾した敵弾が車体上面を直撃してしまう「ショットトラップ」と呼ばれる現象を生じる事もある。

車体下面も装甲は薄く、対戦車地雷によって損傷を受けることが多い。

敵への警戒という面で一番の弱点は狭い視界である。装甲の防御力を高めるために良好な視界が得られる開口部は減らされる。戦車は視界とともに外部音も遮蔽され一層周囲警戒が困難になる。敵歩兵からは1km以上先から戦車の走行音が聞かれてしまう。「戦車だけの部隊」は歩兵や隠蔽された車両に対して脆弱となる。戦車は登場した当初から歩兵の手榴弾や地雷による肉薄攻撃によって容易に撃破されてきたが、個人携行が可能な対戦車ミサイルによって離れた位置から戦車への攻撃が可能になると、戦車兵や同行の歩兵は徒歩によって周囲警戒する必要に迫られている。市街地戦闘では建物により戦車の車高より高い箇所が多く敵兵の潜伏箇所が多い上、その視界の狭さや音の遮蔽がさらに不利となる。
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戦車はキャタピラ、または無限軌道と呼ばれる走行装置によって、車体を支え走行する。

車体の左右2列に並んだキャタピラの履板(りばん)を備えた無限軌道は、その広い面積によって荷重が分散されるために泥濘のような多少の不整地でも走行でき、これは「不整地走破能力」と呼ばれる。また、履板が連続して履帯(りたい)となっているために多少の壕も越えて行け、これは「越壕能力」と呼ばれる。段や堤も通常のタイヤ方式(装輪式)よりは高いものまで越えられ、「越堤能力」と呼ばれる。キャタピラによる操行は左右起動輪の回転数の差によって行なわれる。単純な進行方向の変更では左右回転数の小さな差で行なわれるが、片側のキャタピラを停止したまま逆側のキャタピラを動かすことで「信地旋回」と呼ばれる停止側のキャタピラを中心とするほぼそのままの位置での旋回が行なえる。また、左右のキャタピラを互いに逆回転させることで「超信地旋回」と呼ばれるその場で旋回が行なえる。履帯は接地している地面と大きな摩擦を生むため、「登坂能力」にも優れる。

上記のようにキャタピラは多くの長所を備えるが、短所も多い。キャタピラによる走行はエネルギーロスが大きく、速度や燃費が犠牲になっており、装輪式のようにパンクはしないが、片方の履帯が切れたり外れればその場で旋回する以上の動きは出来なくなる。騒音と振動も大きく、騒音は戦場での行動において容易に発見されることを意味し、振動は車載する装置の故障の原因となり乗員を疲労させる。路面の状況によっては砂塵を巻き上げて自ら位置を露呈してしまう。またキャタピラと転輪類そのものが重く場所も占めている。

ブレーキは起動輪と呼ばれるエンジンの駆動力を履帯に伝える回転部にのみ備わっていて、走行中の減速に使用される油圧多板ディスクブレーキと停車中のパーキング・ブレーキがある。一部の戦車ではディスク・ブレーキに加えてオイル式のリターダを備える。

走行速度の調整は、操行操作となる左右の起動輪の回転差の調整を含めてトルクコンバータ式のオートマチックトランスミッションによって実現されており、操縦手は、ステアリングハンドルとアクセルペダル、前進・後進を選ぶセレクター・レバーの操作によって、比較的簡単に操縦できる[出典 2]。

戦車の機動に適した場所としては開けた土地が良くこういった開闊地(Open terrain)や多少凹凸のある波状地(Rolling terrain)では戦車は本来の機動力を発揮できるが、反対に密林地帯や森林地帯のような錯雑地(Closed terrain)や都市部、急峻な山岳地帯、あるいは沼沢地のような車両の進入を拒む場所は戦車の機動が阻害されるので不適な場所とされる。溜まり水のない泥土も履帯に絡みつくので不適である。

2009年04月26日

荊南

荊南(けいなん、907年 - 963年)は中国五代十国時代に湖北省を支配した国。弱小ながら、交易の中継点として栄えた。南平(なんぺい)・北楚(ほくそ)とも。
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始祖・高季興(こうきこう)は陝州碎石(現在の河南省陝県)の人で、汴州(べんしゅう、現在の開封、汴はさんずいに卞)の商人の家僕(召使)から身を起こし、朱全忠の軍に身を投じて信任され、副将として朱全忠に従い、各地を転戦した。907年に朱全忠が唐を滅ぼして後梁を建てると、高季興は荊南節度使とされた。戦火の絶えなかったこの地の復興に力を注いだ。その後、朱全忠が死ぬと荊州(湖北省江陵)・帰州(秭帰)・峡州(宜昌)の3州を持って自立した。

その後、後梁が後唐に滅ぼされると後唐にも称臣して925年に南平王に封ぜられる。しかし後唐の前蜀攻めに際して、自らの蜀に勢力を伸ばす構想を阻まれた事から後唐と断絶し、東の呉に称臣した。

翌年の926年に高季興が死去すると、長男の高従晦(こうじゅうかい)が後を継いで、荊南節度使になる。高従晦は改めて後唐に称臣し、934年に南平王とされた。更に周辺の呉・閩・南漢・後蜀全てに対して称臣し、平和を保つことに腐心した。荊南が割拠した荊州は中国のへそとも言うべき重要な戦略的要衝である。高従晦は上述のような巧みな政略で各国の勢力緩衝地帯としてこの地の重要さを諸国に認めさせ、弱小国であることを逆手にとった平和を作り出し、巨大な交易中継地点として荊南を栄えさせた。

高従晦は948年に死去し、高従晦の三男・高保融(こうほうゆう)が後を継ぐ。その頃の中原では後唐が滅んだ後に後晋→後漢→後周と相次いで政権が入れ替わった。高保融は後周に対して称臣し、954年に南平王に封ぜられた。その後、後周の世宗による統一事業が始まり、後周が南唐を攻めた時には高保融も同調して兵を出した。更に後周から宋への禅譲が行われると、宋にも称臣した。

高保融は960年に死去し、高保勗(こうほきょく)が荊南節度使の地位を継ぐ(王位には就いていないので国主と呼ばれる)。高保勗は無用な土木工事を起こし、享楽を好んだために民心は離れた。高保勗は962年に死去し、おいで高保融の長男の高継仲(こうけいちゅう)が荊南節度使の地位を継ぐ(高保勗に同じく)。その後、宋の太祖による統一事業が開始され、最も弱小でかつ重要な地を占める荊南が最初の目標とされた。高継仲は「南の楚を攻めるために道を貸せ」との宋側の要求に屈して通過を許したが、宋軍は領内を通過中に荊南に対しても降伏を求め、963年に荊南は滅んだ。高継仲はその後、開封へと連れられ、宋の節度使とされて973年に天寿を全うした。

ちなみに「万事休す」と言う言葉は、高従晦が高保勗を可愛がりすぎる事を周りの人間が嘆いたと言うことから出来た故事成語である。(出典『宋史荊南高氏世家』)

荊南の統治者
武信王・高季興(字は貽孫 858年 - 928年 在位907年 - 928年)
文献王・高従誨(字は遵聖 891年 - 948年 在位928年 - 948年)
貞懿王・高保融(字は徳長 920年 - 960年 在位948年 - 960年)
高保勗(字は省躬 923年 - 962年 在位960年 - 962年)
高継沖(字は成和 943年 - 973年 在位962年 - 963年)

2009年04月09日

帝人事件

帝人事件(ていじんじけん)は、昭和初期の疑獄事件。斎藤実内閣総辞職の原因となったが、起訴された全員が無罪となり、倒閣を目的にしたでっち上げと言われた。

帝国人造絹絲株式会社(帝人)は鈴木商店の系列であったが、1927年の恐慌で鈴木商店が倒産すると、帝人の株式22万株は台湾銀行の担保になった。業績が良好で株価が上がったため、この株をめぐる暗躍が起こっていた。元鈴木商店の金子直吉が株を買戻すため、鳩山一郎や「番町会」という財界人グループに働きかけ、11万株を買戻した。その後帝人が増資を決定したため、株価は大きく値上がりした。

1934年1月、時事新報(武藤山治社長)が「番町会」を批判する記事を掲載、その中で帝人株をめぐる贈収賄疑惑を取り上げた。当時文部大臣の鳩山一郎は議会で関連を追及され「明鏡止水の心境」と述べたところ、辞任の意思表示だと報道されたため、嫌気がさして辞任(なお、3月に武藤山治射殺事件が起きたが、本事件との関係は不明である)。

その後、帝人社長や台湾銀行頭取、番町会の永野護、大蔵省の次官・銀行局長ら全16人が起訴された。これにより政府批判が高まり、同年7月に斎藤内閣は総辞職した。なお、この事件の逮捕者の拘留期間は200日に及び、、拷問による自白の強要もあったという。[要出典]

起訴された人物は主に次のとおり。

島田茂台湾銀行頭取 - 背任・涜職容疑
永野護(番町会)
河合良成(番町会) - 背任容疑
黒田英雄大蔵次官 - 涜職容疑
大久保偵次大蔵省銀行局長
大野龍太大蔵省特別銀行課長
相田岩夫大蔵省銀行検査官
中島久万吉商工大臣 - 涜職容疑
三土忠造鉄道大臣
高木復亨帝人社長 - 背任・涜職容疑
1937年、起訴された全員が無罪となった。検察による強引な取調べと起訴が批判され、「検察ファシズム」といわれた。

背景 [編集]
でっち上げの背後にいたのは、司法官僚出身で当時枢密院副議長の平沼騏一郎とされる。平沼は五・一五事件で暗殺された犬養毅の後継内閣総理大臣の地位を願ったが、後継の推薦権がある元老・西園寺公望からそのファシズム志向を嫌われて推薦候補すら上らず、また枢密院議長昇格の要望も西園寺の反対で副議長のまま置かれていた。このため、西園寺とこれを支持する立憲政友会主流派を深く恨んで、同党内部の不満分子を抱き込みながら捜査を進めていったという。

のちに河井信太郎が帝人事件を評して、次のように語っている。

「塩野季彦司法大臣の大英断により控訴を断念したが、検事が証拠品の検討を怠っていたことが無罪の致命傷になった。掛物によく描かれている、水の中の日影を猿が藤蔓につかまってしゃくろうとしている画になぞらえて、影も形もないものを一生懸命にすくい上げようとしているのが検察の基礎であって、検察には争うことができなかった。」

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2009年03月26日

光動鬼ウルフライ

強い側につくのがモットーのあくどい商売をしているお守り。常に金儲けの事を考えていて、裏切ったり、嘘をついたりとやや悪魔的な卑怯な性格だが、面倒見がよかったりと憎めないところもある。最初は金儲けの為のカモにしていたゲンキ達と旅をして触れ合ううちに、金儲け主義の考え方に変化が見られていく。
非常に女好きで、行く先々で美女を見つけては「○○年に一度の相手」と口説いている。元彼女の聖モイラッキーだけは価値観が合わず苦手に思っていたが、最終的には聖モイラッキーと寄りを戻している。裏切ったり、何か企んだりしている時に「ペロリ?ン」と口癖が出る。最終回ではゲンキ達が住んでいる村に住み着いている様子。
気光子氷ミコ:小桜エツ子
元真黒域の女幹部。聖フェニックスを人質に取る事で一本釣帝とピーター神子を真黒域側に引き込み、若神子同士を戦わせようとしていた。サタンマリアの先祖にあたり、理力と魔力両方を扱うことが出来る。実はお守りとして生まれ,幼少時はお守りらしい容姿をしていたが、親友を助ける為に空を飛ぼうとしたところを、悪魔の翼が生えて悪魔のような容姿となり、それを見た親友は逃げ出してしまい、ショックを受け住んでいた村を飛び出すもその容姿のせいで何処でも蔑まされてしまうという過去を持つ。そのトラウマをスーパーデビルに利用され、サタンマリアを召喚する際の依代にされた。また、最終決戦では体に埋め込まれた魔魂球のかけらの影響で、ワンダーマリアに似た超悪魔W氷ミコへと強制変化させられてしまった。
マクロ側に所属していた頃は子供らしい無邪気さと悪意が入り混じった性格だったが、本来は友達思いの優しい性格である。ゲンキと出会って「みんなで笑う事がハピラッキー」と教えられてからは、徐々に本来の自分を取り戻し悪行を続けるマクロ側と決別していく。初地層での戦いで過去のトラウマを払拭してからは、ゲンキ達に仲間として迎えられた。また聖フェニックス、若神子達とも和解した。ゲンキからは「ヒミヒミ」と呼ばれている。最終回ではネロクイーン同様、ゲンキ達が住んでいる村に住み着き、ゲンキ、ジェロと一緒に行動している。将来的にはジェロとはライバル関係になると思っている?
ニャンニャンチアリーダーズ
お守りの少女達が結成したチアリーダー。初期はモンモンタイム時のみ登場していたが、21話で正式登場を果たす。その後もニッコリー温泉編のミニコーナーである「あの人は今?」ではリポーターを務めたりもしている。

かめ助:永島由子
鐘助:中原麻衣
芸助:松本桜
助士すいさい:中友子
珍カーベル:齋藤彩夏 ※14話は小松里歌

七因王 [編集]
未来において神帝達の祖先に当るマトバの守護者達。クロノズーによって大ソライ塔に封印されていた。

天児(あまのこ)スサノ: 草尾毅
「動」因子を持つ、ヤマト王子の先祖。亜魔岩戸ゴロを退治し、天児の里に平和をもたらした英雄。ある日石像を残して姿を消したが、レインボル大瀑布での戦いにてゲンキのピンチに現れ、ゲンキをパワーアップさせた。また、ヤマト王子に話しかけ、アドバイスを与えたりもしている。大ソライ塔の初地層の頂上、黒い森の中心、ひときわ高い木の根元の深い洞穴の中に封印されていたが、ゲンキ達の活躍により解放された。
天登(ヘブンクライマー)男ジャック: 田中真弓
「遊」因子を持つ、天子男ジャックの先祖。大ソライ塔の承火層に封印されていた。大飛び岩の管理をしていた。
騎神子(きじんし)アリ: 小林由美子
「夢」因子を持つ、騎神アリババの先祖。大ソライ塔の結空層に封印されていた。
鞍馬天子若(くらまてんしわか): 置鮎龍太郎
「霊」因子を持つ、牛若天子の先祖。やはり無口である。大ソライ塔の結空層に封印されていた。
男一本(だんいっぽん)ドッコ: 千葉一伸
「界」因子を持つ、一本釣帝の先祖。やはり土佐弁でしゃべる。大ソライ塔の起水層に封印されていた。
聖(せい)ナイトロビン: 優希比呂
「豊」因子を持つ、魯神フッドの先祖。大ソライ塔の転風層に封印されていた。
聖星(セントスター)ピエトロ: 雪野五月
「光」因子を持つ、ピーター神子の先祖。大ソライ塔の起水層に封印されていた。

聖獣 [編集]
聖(セイント)ズー(シロロ): 前田愛
全ての時空を駆ける、まとば世界の聖なる狛犬。小さい頃のゲンキとジェロの元へ降って来て、ゲンキの額に星マークをつけた。ゲンキに白いから「シロロ」と名付けられ二人に飼われていたが、突然現れた宙魔シヴァヘラからゲンキとジェロを守るため消えていった。その際ゲンキにひかりセブンのペンダント、ジェロに星マークのペンダントを残す。また、7人の若神子を未来から導いたのもシロロである。

ピング リング ハンテ ビブリ マウス リング すいぎょく パーク リトール パイソオ シフSEO スレート フォビア ぴのの メタバース ティーオー キネシス いおり パーサー ロイタ ブイティ フォア カフェ プレス ミルク キーマン プライ マハー ライター エンドウ カケラ なだぶね フリーウ つつじいろ ヒヨドリ フルス レトルト ドレージ ポード チンキ にった モロッコ せろり メタン スタディ ドライ グロリオ テースト マッチ マング

2009年03月10日

アジャンター石窟群

インドのマハラーシュートラ州北部、ワゴーラー川湾曲部を囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院群のことをいう。

アジャンター石窟寺院は、1815年、ハイダラーバード藩王国の藩王に招かれて狩猟に参加していたイギリス人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていたときに、巨大な虎に襲われてワゴーラー渓谷に逃げ込んだ際、断崖に細かな装飾が施された馬蹄形の窓のようなものを見つけたことが発見の契機となった。彼はアジャンターの石窟寺院を発見したとき、すっかり放棄されてコウモリのすみかになった石窟のうち第10窟に自分の名前を記している。

開窟年代と石窟の種類
仏教窟であるこの石窟の種類は2種類あって、平地に木造か煉瓦造で建てられていた僧院(ヴィハーラ)を石窟におきかえたヴィハーラ窟とブッダを象徴する「聖なるもの」(チャイティヤ)として仏塔などが据えられたチャイティヤ窟がある。アジャンターでは、9,10,19,26,29窟の5つがチャイティヤ窟で残りはすべてヴィハーラ窟である。平地では中庭を囲むように僧室をつくるが、ヴィハーラ窟では、一面を採光のために外部に開き、中庭を列柱で囲むようにして僧室との間に回廊をつくる。一方チャイティヤ窟は、2層分の高さに天井を高くして、天井は断面半円形をなし、平面プランは細長い馬蹄形で奥の半円形部分に仏塔を配置する。共通する特徴は、元来木造である僧院とチャイティヤ堂を模倣することにこだわり、柱や梁や垂木を彫り込んでいる。

また開窟年代は、前期(第1期)と後期(第2期)に区分される。前期は紀元前1世紀から紀元後2世紀のサータヴァーハナ朝時代に築かれている。ヴィハーラ窟としては第12窟、第13窟、第15A窟で、チャイティヤ窟では第9窟、第10窟で、おそらく比丘たちの生活、修行の空間であったためにいずれも装飾が少なく小型で簡素な造りであったと考えられる。
ちぇりもや 変わら ラビリティ サーミ サフィニア マンダ ロイワ モナムール セーター チたねもみ セイロ スパチュラ カーバ スキー トンカツ オーバ スパート ディーエー 激しい 地球 しらあや タンニン デラッ チャペル ブレスト オリーブ ウィン べにいろ バラード マレイド せっつ フローシー ファイター レランス ユート 甚兵衛 スウィング バイオ アーコ のつ国内 レトリ パッション セレブ オペック ケルビン メンヒル にらめっこ サンゴ とまこまい イアク

後期である5世紀後半から6世紀頃になると、ヴィハーラ窟は、奥壁中央に仏殿が設けられ、本尊として説法印を結んだ仏陀座像が脇待菩薩を従えて安置され、仏殿としての性格が強くなる。つまり寄進者は、聖なる存在としての仏陀に永久に残る住居である窟院をささげることに功徳を見いだすという目的で石窟を築いたと考えられる。

後期の年代であるが第16窟、第17窟は、ヴァーカータカ朝のハリシュナ王(位462-481)の治世に寄進されたこと、アシュマカ族を制圧したことが銘文から読みとれる。またより新しい時期と思われる第26窟では、アシュマカの大臣をたたえる銘文が見られ、ヴァーカータカ朝の支配が揺らいだことを示唆していると思われる。6世紀半ばと考えられるアウランガーバードの石窟寺院に見られる特徴がアジャンターで見られないことを考えるとアジャンターの年代は6世紀半ばくらいまでに築かれて一部開窟途中のまま放棄されたと考えられる。

アジャンター石窟寺院の美術的価値は、やはり後期窟に集中しているといえる。第1,2,16,17窟は、入口柱や天井にミトゥナ像や飛天、蓮華や鳥獣の画像が描かれたりレリーフとして刻まれたりしている。またこれらの代表的なヴィハーラ窟の壁面には本生譚(ジャータカ)などの説話図が描かれた。これらは、悟りを開いたものとしてのブッダが送った模範的生涯を表現する絵解きによって、よりいっそうの信仰心をもつよう巡礼に来た人々を教育する目的ももっていた。

第1窟には、回廊左手にマハーシャーナカ本生譚が描かれている。これは、ブッダの前生(ぜんじょう)の姿であるマハーシャーナカ王子が世俗の快楽を捨て去る決心をして、妃シヴァリーが踊り子たちとともに出家を思いとどまらせようとするが、引き止めきれず、王子はゾウの背に乗って王宮を去り、残された妃は深く絶望し、奴隷たちに囲まれて快楽にうずもれてゆくという場面である。第1窟の天井には、想像上の動物や人間の姿が描かれている。猿の悪ふざけにうんざりした水牛が猿をころそうとするが、贈り物をさしだして水牛を説得する人間の姿などが描かれている。また有名な「蓮華を持つ菩薩像」が後廊の仏殿入り口付近に描かれている。第17窟には、裕福な商人の息子であるシンハラの物語が描かれている。シンハラは、父の忠告を聞かずに出航するが船が難破し、遭難してしまう。ようやくスリランカの浜辺にたどりつくものの、鬼女たちに襲われ、天を飛ぶことのできる白馬に助けられ、帰国を果たすことができる。シンハラは心を入れ替えて魔物たちを退治するという話である。これらの説話図の描写は、説話の舞台ごとに王宮、山中などにまとめられ、構図も楕円形に人物を配置する独特の遠近法で描かれている。前述したように寄進者はヴァーカータカ朝の君主であるが美術的には典型的なグプタ様式と言える。

2009年02月22日

環形動物(かんけいどうぶつ)

環形動物(かんけいどうぶつ)とは、環形動物門に属する動物の総称である。 ミミズ、ゴカイ、ヒルなどが環形動物に属する。 陸上、海中、淡水中と広い範囲に生息しており、体長は0.5mm程度?3mに達するものまで多岐にわたる。
ルリマ カントリー おいずり ファラオ オーチャ バイバル ロカアォ パーカー トリミン ティラピ オール リージョ ダリア ドゥー ラーゲ ジフ スピコン プロテーゼ ツィリング アフロ 月下美人 シュート ソムリ レイド エアポ ピンポ レーキ パナビ いまかね ドレッ あかんち モルツ カイア スキッ チャートポ ベガス 紅葉 華ごころ リスト サーボ サイト紙燭 テレメ パステ コース オーナブリ ダット サーチアウト すなのみ ブールマ リーダー

一般に細長い。左右対称で、多少とも腹背の区別があり、節足動物程には目立った附属肢はない。いわゆる蠕虫の典型と言ってよい。体には骨格等はなく、柔らかい。えらかまたは皮膚で呼吸する。

体は環状の体節が直列に並んだ構造をしている(体節制)。体節の構造は基本的にはどれも同じで、頭部以外の体節には、それほど大きな差はない(同規体節制)。なお、節足動物とは異なり、環形動物の体節は、内部の体腔をも区分している。

消化系は先端の口から後端の肛門までほぼ直線的。循環系は閉鎖血管系をもち、緑色色素のクロロクルオリン(ケヤリムシなど)または、赤色色素のエリスロクルオリン(ミミズ)、エリトロクルオリン(ゴカイ)、ヘモグロビン(ヒル)によって、体内の酸素運搬を行う。ただし、心臓はもたず、弁のある血管自体が収縮することで血液を循環させている。 脳神経節と腹側神経索からなる、比較的良く発達した神経系をもつ(はしご状神経系)。

生殖と発生
多くは雌雄同体。多毛類では体外受精、他のものでは交尾による体内受精が行われる。発生は、多毛類ではトロコフォアが見られ、その後半に体節が作られることで成体の形になる。貧毛類とヒル類では直接発生が行われる。

生態
海産または淡水産、及び湿った土壌中に生息し、乾燥した陸上で生活するものは少ない。

多毛類はほとんどが海産で、わずかに淡水産のものがある。多様性はこの類が最も大きい。底生の種が多いが、浮遊生のものもある。潜行性、匍匐生、巣穴を作って定着し、デトリタスを触手で集めるものなど、様々である。

貧毛類とヒル類はむしろ淡水産の種が多く、陸生種もある。特に貧毛類では陸生の種が多く、陸上の生態系では土壌の形成に大きな役割を担っている。

分類
一般に多毛類・貧毛類(ミミズ類)・ヒル類の3つの群をこれに含め、それぞれを綱として立てる。このうちで多毛類がもっとも環形動物の形の基本に近いものと考えられる。貧毛類とヒル類は、外見的にはより単純であるが、内部構造では体節の分化も進んでいて、より発展的なものと考えられる。

他に吸口虫類が独立の群として、それにムカシゴカイなどを原始環虫類としてそれぞれを独立した綱と認めて立てる場合があったが、現在ではこれらは多毛類の一つと見なされることが多くなった。ユムシ類も環形動物の1つの綱として位置づけられていたが、現在ではこれはむしろ独立した門と見なされることが多い。ただし、環形動物とは近縁であると考えられている。

他に、有鬚動物は特殊な構造の動物として有名であるが、近年ではこれも多毛類の1つと考えられることがある。

ミミズ、ヒル類は雌雄同体だが、他の環形動物は雌と雄の区別がある(雌雄異体)。

系統関係
いわゆる旧口動物である。体節制が発達していることから、節足動物と近縁性が、 海洋性のいくつかの種にはトロコフォア幼生になるものがあることから軟体動物との近縁性が古くから主張された。しかし、このうちの節足動物との近縁性は近年否定される傾向がある。他方、軟体動物との近縁性は現在も認められている。軟体動物の一部に見かけ上の体節制的な特徴が見られることから、体節制を持つ祖先からこの二つ(あるいは節足動物を含めて三つ)が分かれたと考えられていたが、現在では軟体動物の体節制が疑問視されている。

2009年02月06日

ああ播磨灘

『ああ播磨灘』(ああはりまなだ)は、さだやす圭による日本の相撲漫画。およびそれを原作としたアニメ。「モーニング」(講談社)にて連載されていた。正式なタイトルは『読むと強くなる横綱漫画 ああ播磨灘』(よむとつよくなるよこづなまんが ああはりまなだ)。
せいぜつ デスマ バグパイ セミナー ユビキノン バラック フロック ダバッグ パンパ ソドミー リング ウォーム ジョーズ ドーミ クロスバ サイバー バンガ ハミング メンソール しろかもめ ポトス ロリズム ニング ヨヒン ハイク ナビ雑草 レモネード ダウラギ イロード テーション テンショ フルベ ビーフシ マーメ ステイ レリック げんこつ スレーブ フラグ トップモー ランドレ チュクチ モノマー ニーズ トラポコ テンポ エニグ ギャラリー ラスト マーキュリ

敗北や挫折を味わいながら成長するという常套パターンを採らず、主人公は登場した瞬間から横綱。そして一度も負けられない宿命を背負った主人公に、次々強敵が襲いかかる、という、当時すでに古びていたパターンをあえて踏襲。主人公が勝つと判っていてもハラハラさせるのがこのパターンの王道だが、それを逆手にとって、どんどん超人的になっていく主人公と対照的に、ライバル力士たちの人間ドラマを描き込み、むしろ読者は彼ら敵役の側に感情移入してしまうつくりになっている。

内容は現実にはありそうもない破天荒なものだが、格式と伝統を至上とする反面、興行成績に一喜一憂するが故に低迷する、現在の大相撲の問題点を鋭くえぐっている。土俵上の力士の描写など細かいところでの間違いが少なく、相撲ファンからも好評だった。

また、雑誌イブニングにて播磨灘の少年時代を描いた『ああ播磨灘外伝ISAO』(ああはりまなだがいでん イサオ)が連載されていた。

M.A.T.原作、竜崎遼児作画の相撲漫画『雷電王』には、播磨鷹(はりまおう)という豪放な横綱が登場、主人公と死闘を演じた末に敗れる。これを受けて本作の側でも播磨灘が自身の綱を奪ったプロレスのチャンピオンを両腕を破壊し瞬殺するエピソードが描かれた。

あらすじ
9月場所初日、新横綱播磨灘は仮面をかぶって土俵入りに登場、人々を驚かせる。さらに、双葉山の69連勝を破ること、今後一度でも負けたらその場で引退することを宣言する。相撲協会の怒りを買い、全幕内力士を敵にまわして、播磨灘の快進撃が始まる。

逸話
連載当時、若花田、貴花田、曙らによる相撲ブームが起こり、作者さだやす圭も大相撲関係のコメントを求められることが多くなった。しかし、ユーモアのつもりで言ったことが、挑発的な物言いの様に紹介されることも多く、「播磨灘の様な漫画を描いている作者ならこれくらい言うだろう、と思われている様だ」と困惑させられたという。

特に当時大関の小錦の横綱問題で、はげましとやはりユーモアのつもりで「あの身体に綱をしめたらどんな風になるか見てみたいよ」と語った言葉が、「小錦の横綱姿などきっと見られたものじゃない」という様な逆のニュアンスで伝えられてしまったことについては胸を痛め、総集編の巻末コメントで小錦に対して謝罪している。

また本作から四股名をつけた「播磨山」「播磨海」「播磨王」という力士も、現実の大相撲に登場したが、三人とも関取には昇進できずに引退している。

登場人物
播磨灘勲(はりまなだ いさお)
声 - 大塚明夫
本名:山形勲(やまがた いさお)
土俵の内外で角界の禁をことごとく破り、伝統や権威でさえも平然と破壊し続け、自分に負けた相手に対しては圧勝・苦戦関係なく暴言を放つなど、まさに掟破りの土俵の鬼神。第1話で、仮面を被って土俵入り。さらに「一敗でもしたら、その日限りで引退する」と豪語、そしてその言葉どおりに連勝を続ける。初場所編の千秋楽にて、「大相撲を解散する」と称し、相撲協会と決別する。のちに「播磨灘道場」を旗揚げし、相撲協会と対決する意味で、7月場所と同じ時期に「播磨十番勝負」という自主興行を起こした。驚異の四股を踏む強靭な足腰と怪力を生み出す上体を併せ持ち、得意技は呼び戻し・吊り落とし。初土俵時の四股名は、山形山(やまがたやま)だった。生年月日は1961年4月2日?1962年4月1日の間と思われる。
さだやす圭作品の主人公の例に漏れず、関西出身者・関西弁である。
雷光親方(らいこう)
声 - 緒方賢一
播磨灘の師匠。現役時代には平幕の下位にとどまった(最高位前頭2枚目)。実直な人柄で、播磨灘の破天荒な挙動に一喜一憂する。播磨の横綱昇進時には有頂天になって放言をしたことがあり、このことを播磨の挙動と合わせて後日協会幹部から責められている。
おカミさん
声 - 真山亜子
雷光親方の妻。彼女にとっては播磨灘もかわいい子供の一人であり、一挙手一投足に振り回されつつも、時には雷光以上に毅然とした態度で播磨に接する。
時津灘(ときつなだ)
声 - 小野健一
※実在の元幕内時津洋宏典とは無関係
日向灘(ひゅうがなだ)
声 - 高木渉
雷光部屋の幕下上位力士。播磨と同場所で幕下優勝し、十両に昇進した。
紀州灘(きしゅうなだ)
声 - 古田信幸
入間山(いるまやま)
声 - 福田信昭
前田亜希子
声 - 折笠愛
自ら能面を被って深夜に雷光部屋を訪れ、播磨灘に嫁入りを志願。仮面のまま電撃的な婚約発表をした。九州場所後、正式に結婚する。美人でしっかりものの誉れ高き女性。婚約会見でも能面を着けていたため、後に「能面女」とあだ名されることになった。ただし、能面は記者会見のときに播磨灘に割られ素顔を晒して以降は着用していない。前田亜希子の画像(能面着用時)

相撲協会/ライバル力士
愛宕山理事長(あたごやま)
声 - 藤本譲
相撲協会理事長。角界の伝統と権威を冒す播磨灘を倒し、引退に追い込もうと執念を燃やす。しかし、初場所編を最後に土俵荒廃の責任を取り、理事長職を辞任した。
相撲とは力と力のぶつかり合いである”強さ”を理念としている。また、播磨灘の横綱としての圧倒的な実力そのものは認めており、他の相撲部屋が拒絶した道場破りのような播磨灘の出稽古を受け入れた事もある。
モデルは初代若乃花の二子山理事長。
能登ノ海親方(のとのうみ)
能登ノ海一門を率いる角界有力者。初場所終了後に、愛宕山の理事長職を継ぐ。そして、播磨抜きで7月場所を行う事により、大相撲の格式、伝統、様式美を守ろうとした。しかも全幕内力士に「『播磨十番勝負』に参戦する様な事があれば、無条件で相撲協会から追放する」と促す程の念の入れ様。しかし、それでも播磨の元へ行く力士が後を絶たなかった。最後は、追放宣言を白紙に戻し、理事長職を辞任。後任を太刀風に託した。
相撲とは技と技のぶつかり合いである”しのぎ”を理念としている。また、かなりの野心家でもあった。
モデルは元佐田の山の出羽海理事長。

横綱
太刀風貢(たちかぜ みつぐ)
声 - 笹岡繁蔵
※実在する元幕内太刀風義経とは無関係
相撲道300年の伝統を踏まえた、心技体充実の相撲と取る横綱。円相撲というスタイルで他力士を圧倒する。本割の千秋楽で必ずといっていい程、播磨と全勝で相星決戦を行った。
初場所編では、播磨の得意技である呼び戻しのカウンター技である播磨返しを編み出し、千秋楽の播磨戦に臨むが、結局敗れた。その後、播磨に日本式棺桶の中に押し込まれ、地獄車と称して転がされる。
その事件をきっかけに、自分の力がピークを過ぎたと悟り、引退を決意。その後、打倒播磨の為に紫電海を鍛えたり、現役力士達に裏で「播磨十番勝負」への参戦を促したりした。
最終話では能登ノ海の推挙で、理事長に抜擢。記者会見で、記者達の前で土下座し、協会の敗北を認めた。
第一人者としてのモデルは千代の富士、キャラクターとしてのモデルは「平成の双葉山」の異名があった様に、双葉山ら昭和期の名横綱たちだったと思われる。
北道山剛(ほくどうざん つよし)
声 - 若本規夫
角界一の怪力を誇る力士。自他共に厳しい荒法師。出身は北海道。9月場所編では横綱だったが、播磨灘に敗れたのをきっかけに、「横綱の力が無い」と周囲の反対を押し切って、自ら横綱の地位を返上し、名誉大関となる。だがそのため却って「所詮大関」「大関なら横綱に礼を尽くせ」などと、播磨灘に暴言を浴びせられることになる。
播磨十番勝負編の最後の相手。その時に播磨に「お前がわしに一番近い力士やった」と言わしめた。
作者のお気に入りだった為か、第86話「あそびほうける」では回想シーンながらも北道が播磨を破る描写が描かれている。
長身、上突っ張りをいかした取り口などからモデルは明治末から大正の無敵横綱だった太刀山峯右エ門。その四股名や直情径行な性格には、力道山のイメージも加味されている。また、弟弟子玄海との関係には、千代の富士と北勝海を思わせるものがある。
大江川正蔵(おおえがわ しょうぞう)
本名は田村正蔵。
プレッシャーに弱いが、巨体、重心の低さは申し分無し。その天稟は角界一と謳われる横綱。9月場所編では師匠・稲綱親方の進退を賭けて播磨に挑むが、あっけなく敗れた。親方は廃業したが、大江川自身は場所直後に誕生した息子のために、泥をかぶって土俵に上がる決意を固める。
九州場所編では、打って変わって水入りの大勝負を演じた。(本編中、水入りはこの一番のみ。)
初場所編で、「播磨灘戦に敗れたら廃業する」と宣言し、播磨に挑むが敗れ、廃業。
その後、海外に渡って武者修行の旅に出て、帰国。その時の彼の姿は、頭を丸め、肌は小麦色に焼けていて現役時代とは全くの別人になってしまった。元横綱・大江川ではなく、一個人・田村正蔵として播磨十番勝負に挑む。
モデルは大乃国。

大関
富嶽(ふがく)
声 - 安西正弘
本名はイオテ・イアオケア。
ハワイ出身。体重250Kgの巨漢力士。突き押しを主に得意とする。引き付けてのさば折りもあるが、かつて兄弟子の腰の骨を折って廃業させてしまった為、封印していた。九州場所編では、その封印を解き、播磨に挑むが相討ちとなって自分の腰の骨が折れてしまい、敗れてしまう。
のちに関脇に陥落するも、不屈の闘志で奇跡のカムバックを遂げ、「播磨十番勝負」に挑んだが敗北。「人間(じんかん)いたるところ青山あり」の言葉を残して廃業、部屋を去る。その際、親方夫妻から万歳三唱で送られた。
モデルは小錦。
玉嵐(たまあらし)
※実在する元幕内玉嵐孝平とは無関係
稽古の鬼と謳われる努力型の力士。安定した重心と鍛えぬいた鋼のような肉体を武器とする。弟弟子の指導にも熱心で、「土俵の外でも摺り足で歩け」との教えが劇中で描かれた。しかしいつしか稽古をすることが目的となってしまい、播磨に「お前の稽古は稽古のための稽古」と言われ強烈な四股によって邪心を抜かれる。初場所編で、播磨灘戦の後に自分を捨てた女性実業家である実母に対して、「かあちゃん」と呼ぶシーンは静かな感動を呼ぶ。
若不動(わかふどう)
不動明王を信奉し、9月場所で新大関になった。播磨灘に完敗し、四股名の返上を迫られるも、逆に、師と仰ぐ明澄法師に不動王(ふどうおう)の名を授かる。九州場所で敗れた時には、「四股名を"お不動"に改名せい!!」と言われた。登場は初場所編が最後で、十番勝負には登場しなかった。作者曰く「一見大物っぽいが神頼みタイプ」との事。
紫電海勝巳(しでんかい かつみ)
本名:山中勝巳(やまなか かつみ)。
スピードと技を誇る天才肌の力士。近代相撲の申し子というべき存在。播磨灘が最後に敗れた相手。表向きは飄々とした性格だが、悩みやすい内面も持っている。プレイボーイと目されているが、それは周囲の協力によるカモフラージュによるもので幼馴染の中嶋紀子一筋。九州場所編では、播磨に秒殺されてしまい、投げ飛ばされた後、「前相撲からやり直せ!!」と罵声を受ける。
播磨出現以降の土俵の荒廃を憂えており、初場所編では「こうなったのも播磨を見過ごしたあんたの責任だ」と理事長に啖呵を切った上で、播磨灘と目を覆いたくなる程の流血戦を演じた。
のちに、幼馴染の中嶋紀子と結婚した(と思われる)。

関脇以下
白鳳(はくほう)
技と力を備えた正統派力士。入幕した時に太刀風から「これで大相撲も10年は安泰」と言わしめた。9月場所前に、女性を助ける為にヤクザとケンカして病院送りにしてしまい、協会から謹慎処分を受けていたが、9月場所の4日目から復帰する。
初場所では、以前とは打って変わってヒールに転向。
7月場所で、土俵上で天山に半殺しにされる。
実在の横綱白鵬とはもちろん無関係で、モデルは連載当時、若手力士のホープとして急速に頭角を現しつつあった貴花田。
天山(てんざん)
※実在する元十両天山久晴とは無関係
大学相撲でタイトルを総なめにし、幕下付け出しでデビュー。初土俵から4場所連続全勝優勝で、強烈な突きを武器にわずか8ヶ月で入幕を果たす。九州場所前に、山相撲で播磨灘と対決するはずだったが、師匠の山藤親方に制止され実現に至らなかった。九州場所の14日目で播磨灘と対戦し、一本背負いで敗れた。その後、雷光部屋へ押しかけ入門し、播磨灘の呼び戻しの練習台となり背骨を痛め入院、さらに太刀風の播磨返しの練習台となって首を痛めるなど、貧乏くじを引かされがち。極端な無口で、何を考えているのか分からない男。長身、突き押し主体の相撲スタイルからモデルは曙の可能性が高い。
凄ノ尾(すさのお)
播磨灘と初土俵と入幕が同じという同期の桜。播磨の長所短所を知っている。首を太くするために頭を生木に打ち続け、骨のように硬くなった額のコブがトレードマーク。九州場所編では、播磨に敗れた後「凄ノ尾改め犬ノ尾とせい!!」と四股名返上を迫られた上に、足で砂をかけられる屈辱を味わう。
玄海(げんかい)
※実在する元十両玄海桃太郎とは無関係
北道山の弟弟子。昔は、九州では名の知れた暴れん坊だったが、北道山の鬼のシゴキで、ぶちかましを武器に「壊し屋」の異名を取る実力派力士となった。その為、関取になった今でも北道山を「大将」と慕う。それは、北道山が綱を返上してからも決して変わる事は無かった。
北道山が横綱だった時は、露払いを務めた。7月場所、9月場所と播磨に秒殺される。
八幡悠介(やはた ゆうすけ)
紫電海の後輩。柔軟な体ゆえに「ナマコ」という異名をとる元学生横綱。常に茫洋とした表情で掴み所がない性格。学生結婚した妻がいる。
初場所編で播磨と初顔で対戦。敗れはしたものの、播磨に「マシな力士や」と褒められる。唯一播磨に褒められた力士。
「播磨十番勝負編」では、雨の日を選んで播磨に挑戦するなど、大策士振りを見せた。
モデルは旭富士。
竜鵬(りゅうほう)
立田海部屋の新入幕力士。愛宕山親方をして「久々に抜き身の男に会った」と言わせしめたほど頑固で向こうっ気が強い。昔、父親を救えなかった悔恨から、吊り一本にこだわっている。
竜雲(りゅううん)
愛宕山部屋の部屋頭で小結。口先だけは上手く、自分より立場が上の相手には慇懃に振る舞い、下の人間には、たとえ先輩であっても横暴に振舞う二面性キャラ。播磨との対戦で心の弱さを露呈し、自ら膝をつこうとしたため播磨の怒りを買い、腹から土俵に叩きつけられた上、理事長にも「脂の乗った舌を切るか、部屋を出ていけ」と、事実上の廃業通告を突きつけられる。
修羅ノ海(しゅらのうみ)
上位に強く、下位に取りこぼす上位キラー。内掛け一本を極めようとする職人タイプ。播磨にも内掛けで挑んだが「お前の内掛けは技ではなく芸や」と言われ敗れた。
モデルは安芸ノ島。
竜剣(りゅうけん)
北道山の弟弟子の一人。播磨に罵詈雑言を飛ばして挑発するも、裏目に出て右腕を折られる。
立山(たてやま)
関脇。横綱となった播磨灘の最初の相手。分厚く包帯を巻いた手による張り手が得意技。大関だった兄弟子が、播磨灘に星の貸し借りを断られ、大関から陥落した為に逆恨みをしている。
津軽山(つがるやま)
全勝宣言をした播磨の三番目の相手。汗で滑らせ隙を作ろうとするも、全く通じず粉砕された。
三ツ岩(みついわ)
播磨に対する捨石の刺客として選ばれた力士の一人。大酒飲みで、馴染みの店ではツケで飲食しているが、未だに勘定を払ったことはない。元は横綱、大関になれる逸材と言われながらも自分の特徴をスポイルさせた師匠の育成の影響から伸び悩んでいた。播磨との対戦で両腕を砕かれる。
甲斐の山(かいのやま)
相撲巧者と言われる力士。播磨灘が息を吐いた頃合を見計らって取り組むも、あっさりと倒された。
松島(まつしま)
前頭。白鳳と同門。二枚目で爽やかで謙虚な優等生。作中では珍しく播磨灘を尊敬している力士。九州場所では張り手を連発されて敗退。その後も爽やかかつ礼儀正しく振舞ってはいたものの、一人密かに悔し涙を流していた。
武乃富士(たけのふじ)
前頭筆頭。大横綱・武蔵富士の息子。弱冠二十歳ながら横綱と戦える位置まで辿り着いた。九州場所にて播磨灘と対戦したが、ぶざまに敗れた。
大朝日(おおあさひ)
愛宕山部屋所属の関取。通称・大仏。出稽古にて播磨灘と対戦し、完膚なきまでに叩きのめされる。

原作のみのキャラクター
北条(ほうじょう)
毎朝新聞に勤務する相撲記者歴30年のベテラン記者。内心では播磨灘を毛嫌いしつつも、常に播磨灘をマークしている。次第に播磨に惹きつけられていき、最終話で播磨に対して「日本一!!」と叫んだ。
八田登(はった のぼる)
暴力団九州玄界組組長。九州場所中に、ちょっとした交通事故で播磨灘と偶然出会う。播磨灘に魅了され、共に酒を飲んで以降、播磨に付き従い、自分の選んだ書道家の揮毫が播磨に踏みつけられた際の偶然からできた自分の字で作った化粧回しを贈ったり、「播磨十番勝負」の興行責任者を務めたりした。播磨の応援団長的な存在。ヤクザから足を洗い、一生播磨についていく決意をした。ちなみにこのキャラクターは、月刊少年マガジンに現在も連載中の『なんと孫六』にも登場した(ただし不良高校生役)。
兆二(ちょうじ)
玄界組若頭で八田の腹心。播磨と八田に振り回され、ブツクサ言いながらも、男と見込んだ両名に忠義を尽くす。
北道山の母
北海道の奥地に住み、女手一つで北道山を育てながら、荒野を開墾した女傑。自殺未遂騒ぎを起こした北道山に「とっとと死ね。」と言い放つなど、気性はかなり激しい。北道山の荒々しい性格も、この母親譲りと思われる。

2009年01月22日

4種類の血液型いずれもが一定数の割合

能見の説が学術の体を為していないという批判も存在する。特定の血液型に偏った人口構成になっている各国と比べて、4種類の血液型いずれもが一定数の割合を占めているアジア諸国の方が多様な性格の人で構成されているなどというデータも存在せず、まだまだ血液型と気質の間に特定の関連性を発見することはできていない。心理学的見地からも「血液型と性格に科学的因果関係は発見できていない」ということが現状[22]とされている。

人類学との矛盾点
雑誌など血液型性格分類で用いられる血液型人類学は、一般の人類学と大きく矛盾している。一般に日本が1500年ほどの農耕文化を有していたことから、日本に最も多いA型を農耕民族とし、そこからそれそれに適した食事法を導き出そうとした。人類学に関しては血液型は関係なしに誤解が定着している。2000年弱ほどの農耕文化で農耕民族に分類されるのならば、世界の主要民族のほぼ全てが農耕民族となるが、日本では日本人のみを農耕民族としている風潮があり、農耕民族=日本人ということを前提としてものを語ることが多い。

マスメディアでの取り扱い
性格分類の肯定者の中には「血液型による性格分類は根拠がないという立証はされていない」(ゆえに間違いではない)といった理屈を述べる人もいた。テレビ番組制作側も、こうした意見を後ろ盾に血液型性格分類を扱う番組を作っていたこともある。実際、BPOへの苦情に対し、一部のテレビ局はそのような趣旨の回答をしていた。しかし、医学的・心理学的な裏付けがないうちに事実としてメディアが流していたことが問題ということから、一部の学者により批判を受けることとなっている。また、この理論は悪魔の証明でもある。

過去の経験的・観察的事例に基づく意見

骨髄移植での事例
骨髄移植によって血液がドナーのものに変わった時に、性格または気質に明確な変化があるのかといった問題もある。4類型するための性格についての基準が何かなどに関しても極めて問題が多い。相手の血液型に対して事前に情報を得て、相手を知った錯覚に陥った場合、適切な人間関係を構築する上で障害となる可能性もある。

論争の現状
血液型性格分類についての論争は科学的にはすでに終了している。 血液型性格分類については実際に調査して仮説の真偽を判断せざるを得ないものなので、実際に緻密に再調査・追試験をせざるを得ないのである。結局、学者らによって実際に統計的調査が何度も行われているものの、その結果現在に至るまでいずれでも明らかな相関は見られないのが実情である。[23]

社会心理学からの研究
ABO式血液型と性格の間に明確な関係は見られない、という多くの結果を踏まえて、社会心理学[24]では近年、血液型気質相関説を研究の題材としてとりあげ、このような説が社会に流布する仕組みや、このような説が流布することによって人の認知にどのようなひずみが生じるのか、あるいは血液型相関説を「信じているように振舞う人の動機は何か」といった角度から研究されており、論文が多数書かれている(因みに、そのような研究をするために、念のためにABO式血液型と性格の間に関連が有るかを、あらためて実際に被験者を選び統計をとり検証することもあるが、そこでも両者には明確な関連は見られていない)。近年では、「血液型」および「性格」という言葉がタイトルに含まれる論文では、こういった社会心理学側からの論文が主流になりつつある。

社会問題
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この記事や節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。Wikipedia:独自研究は載せないを確認の上、情報、解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください(テンプレート)。

血液型差別が広がった背景には血液型ブームに乗って、誤った疑似科学による偏見や偏った血液型差別的な血液型判定本などが人気を博した事で世間にまで誤った血液型への先入観や差別意識が持ち込まれたとされている。現在までに血液型などをテーマにした多くのテレビ番組などが作られたが、一部では虐め問題にまで発展したとして、多数の放送局などに多くのクレームが殺到した[要出典]。

近年では2004年に放送された「血液型性格診断」をテーマにした番組で極端な差別報道がされたとして、制作した局や青少年委員会/BPOへの特定の血液型に関しての苦情や問い合わせが殺到したと発表されたことがあった。しかし、その他血液型の番組も対象が違えど差別的な報道がされていたが、それについては問題視されたかどうか番組に対する視聴者の反応すら発表されることはないので、それらその他血液型番組には苦情が殺到しなかったかどうかは不明である。また書籍についても、都合の良い反応しか発表されないので、苦情がないかどうかは不明である。

これら近年の血液型流行は、捏造で話題となった「あるある大辞典」[25]が、その後の血液型社会現象の発端となった。俗にいう近年の血液型相性も「あるある大辞典」が根源となっているなど、どう考えても「あるある大辞典」こそが近年の血液型差別の根源となっている[要出典]。しかし当時のあるある大辞典は、都合の悪い視聴者の反応は発表することはなかったので、番組に苦情がなかったかどうかは不明である。

これらのテレビ局など製作側の姿勢が視聴者に対しての配慮を欠いて、民放連の放送基準の第8章などに抵触しているのではないかと問題視された[要出典]。

一部メディアでも特定の血液型への明らかな偏見の姿勢が存在している。また明らかに血液型によって報道の内容を変えている雑誌やテレビ局も存在している[要出典]。

近年では独裁者や権力者の血液型から特定血液型の意味不明な差別も根付いているとする者もいる。しかし日本の権力者以外の海外の独裁者や権力者などの血液型はほぼ全てが捏造で、日本の権力者についても明確な資料がある場合は稀である。これはその他有名人に対しても同様である。

文献
発表年順
ハンモ サイクロ ジャイル ダゴン ローツェ 夕立ち クフルト マーガ 白菜 エゴイ シプリン ヒート サテラ 黄昏 あくび ぞくげん スコール おきなれ プリスクール トーラス ブルー オートオオ レモンピー 天永 リュード フキ ギアシ ルクセン ジャイロ サイド ジェット ダックス フレア 四天王 マンゴー ピアニスト モヒカン ナビむつ デザイン キュー きつき ストップ じょうさい ヒヤシンス シュミナ リフネ メゾネット イング ダッシュ リング

古川竹二 - 『血液型と気質』三省堂、1932 、ISBN 46085391。『血液型と民族性』共立社、1932 、ISBN 46085619。
大村政男 - 『血液型と性格』松籟社、1990/10 、ISBN 457124021X。(1998/04、ISBN 4571240341)
松田薫 - 『「血液型と性格」の社会史―血液型人類学の起源と展開』河出書房新社、1991/05、ISBN 4309241247 (1994/07 改訂第2版 ISBN 430924145X)
山崎賢治&坂元章 - 『血液型ステレオタイプによる自己成就現象?全国調査の時系列分析?』(日本社会心理学会第33回大会発表論文集)、1992年、(心理学者による肯定的な結果)
白佐俊憲&井口拓自 - 『血液型性格研究入門―血液型と性格は関係ないと言えるか』川島書店、1993/05、ISBN 4761005076(二人の心理学者による検討)
前川輝光 - 『血液型人間学―運命との対話』松籟社、1998/07、ISBN 4879841951 - 肯定的な見解
詫摩武俊&佐藤達哉編 - 『現代のエスプリ 血液型と性格―その史的展開と現在の問題点』至文堂、1999/07、ISBN 4784353240(海外の学術文献リスト他)
村上 宣寛 - 『「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た』日経BP社、2005/3、ISBN 4822244466
WU Kunher, LINDSTED Kristian D., LEE Jerry W., 2005, Blood type and the five factors of personality in Asia, (Personality and individual differences) , ISSN 0191-8869 CODEN PEIDD9[26]
Jamais Jamais - 『B型自分の説明書』文芸社、2007/9、ISBN 978-4-286-03202-3 (4-286-03202-7)

ABO式以外の血液型と性格・気質の相関についての研究を含むもの
Cattell, R.B. et.al.(1980)The realation of blood types to primary and secondary personality factors.(Mankind Quarterly 21, 35-51)(ABO式血液型、MN, Rh, P, Kell, Duffy, Colton, 血清型5種、酵素型5種との一時的および二次的性格要因との関係があるかどうかの研究)ただしMankind Quarterlyは優生学と人種隔離政策を擁護する団体(International Association for the Advancement of Ethnology and Eugenics)によって設立された雑誌であるためほとんどの学会で学術雑誌として認められていない。
Harburg, E. et. al.(1982)Twelve blood markers and measurement of temperament. (J.Psychiat.140, 401-409)(ABO式血液型、MN,Rh, P,S,Kell,Kidd,Duffy,Lewis,血清型3種と気質との関係があるかどうかの研究)

2009年01月15日

士礼居叢書

『宣和遺事』の作者は不明である。あるいは上記のような本書の性格上、単独の作者によるものではなく、いったん成立したものに、別人が後から幾度も逸話を付け足されていったものとも思われる。後述の水滸伝との関連部分などは他の箇所から文体的にも物語的にも独立しており、後から挿入された形跡が濃厚である。

清代の蔵書家・黄丕烈が、その蔵書「士礼居叢書」に本書を宋本として収録して以来、中国においては『宣和遺事』を南宋末の成立とする説が有力である。日本では、本書に収められた逸話は多く南宋代に成立していたとするも、書物としての完成は元代まで下るとする説が強く、魯迅なども同様の説を唱えている。

近年では(これも『水滸伝』等の小説に大きな影響を与えた)戯曲のうち、明初に成立したことが明らかな「豹子和尚自還俗」という作品の中に登場する英雄の序列が、元曲における水滸戯と『宣和遺事』・『水滸伝』の中間過程と推察されることから、『宣和遺事』も明初に成立したのではないかとする説(佐竹靖彦)も登場している。このように本書の成立に関する説は、南宋末から明初までおよそ1世紀もの差があるが、いずれにしろ『宣和遺事』の成立時期は、小説『水滸伝』自体の成立年代にも絡むため、非常に重要な問題といえる。

記事内容
中心となるのは神宗・徽宗・欽宗の3代にわたる宋朝宮廷の逸話と歴史の流れである。

歴代皇帝が荒淫から国を滅ぼす例が語られる序盤から始まり、北宋歴代皇帝の略史、王安石の新法を経た後、文化の爛熟する徽宗時代に入り蔡京の権力掌握、首都開封の繁栄などが語られる。いっぽうで徽宗は遊女・李師師と遊興にふけり、道士・林霊素に過度に傾倒するなど国政を省みることは全くない。栄華は長く続かず、やがて方臘の乱や北方民族の侵入を招き、靖康の変で徽宗・欽宗父子が満洲(金国)に連行され、悲惨な結末をたどるいきさつを述べる。最終的には高宗が難を逃れて河南で即位し、都を杭州(臨安)に定めるまでを記す。

『宣和遺事』の書名からも明らかなとおり、本書における最重要人物は「道楽天子」とも称された徽宗皇帝であり、徽宗時代の記述が全体の8割ほどを占めている。全体としては国を誤った君主と、売国的な佞臣らを糾弾する思潮によって貫かれている。

水滸伝との関連
前半部、徽宗皇帝治世の出来事として、梁山泊の盗賊に関するエピソードが記載されている一部分があり(分量としてはそれほど多くはない)、登場人物の顔ぶれなどが、後の小説『水滸伝』の登場人物とほとんど一致する(ただし一致するのは名前のみで、人物設定や役柄などはかなり異なる)。そのため、水滸伝が一つのまとまった小説として成立する以前に『宣和遺事』が有力な素材の一つとなっていることは間違いない。なおこの部分は、他の部分からストーリー的にほぼ独立しており、ここでの登場人物は他の部分には登場しない。
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梁山泊説話の内容
盗賊に関する逸話は以下の3つの部分から構成される。

第一部分:花石綱
造園が趣味であった徽宗皇帝は、全国から珍妙な庭石を集める「花石綱」という徴発を行わせていた。責任者の朱勔は、楊志・李進義・林冲・王雄・花栄・柴進・張青・徐寧・李応・穆横・関勝・孫立の11人に運搬を命ずる。11人は任務を全うすべく義兄弟の盟約を結ぶが、楊志が大雪により道を阻まれる。路銀もなくなり、家伝の宝刀を売ろうとするが、無頼漢とケンカになり殺してしまう。捕らえられた楊志が流刑となり護送される途中、孫立と出会う。孫立から話を聞いた李進義らの仲間が楊志を救い出し、太行山に籠もって山賊となる。

現行の水滸伝の第12回では、楊志が花石綱の任務に失敗し、恩赦を機に都へ上るが再起を果たせず、金のために宝刀を売ろうとしてチンピラにケンカを売られ殺してしまう話が存在し、上記の内容とほぼ同じである。しかし、他の登場人物は水滸伝では全く違う役割で登場する。